トルコ見聞録

● 驚きのホスピタリテイー
 トルコを旅行する前に仕入れていた情報でも、トルコ人は親日家だと書かれていた。確かに皆んな優しかったが、『親日家』というだけの事では無いと思う。 彼らの親切は、日本人では考えも及ばないほどもの凄い親切なのだ。

 例えば、ある街で市街バスに乗った私達は、降りる地名は分かっていても、いつ降りれば良いのかトルコ語が分からないのでアタフタと周りの人達に聞きまくっていた。  一人の男性が英語で話しかけてくれて、運転手に目的地で降ろしてくれるように頼んでくれた。そして、その男性は先に降りて行った。手を振ってお礼を言って別れた。
 
 ここまでは、普通の親切でよくある話しカモ知れない。
驚いたのは、降りるときにバスの料金を払おうと思うと、「もう払ってもらった」と言うのだ。さっきの男性が、料金まで払っていてくれたのだ! そして、その事を私達には何も言わないで先に降りて行ったのだ。なんてさりげなくカッコイイ親切でしょう。


 そして、私達はいつもいつもタクシーに乗る時も、ホテルに泊まる時も「お金が少ししか無いから」と言い続けていた。
 ある時、バスを降りて次の目的地へ行こうと次のバス乗り場を聞くと、「そこからはタクシーで行くしかない」と言われた。そしてその男性は、タクシーの運ちゃんに勝手に話しをつけて私達をタクシーに乗せようとした。私達は例のごとく「タクシーなんて、そんなお金無い!」と言って手を振って断った。それでもその男性はおかまいなしに私達をタクシーに押し込んだ。そしてその男性は、「まぁいいから乗って行け、ホラ」と言って目的地までのタクシー料金を私の手に押し込んだのだ。もちろん私達は断った。名前も知らず、その時初めて会った他人である。そこまでしてもらう程親しい訳ではないのだ。
 それでも、男性は何やらわめいている私達の事はほっといて、運転手に出るように言った。書いていると長いが、これはアッという間の出来事だった。唖然として車の中から振り返ると、そこには笑顔で手を振るヒゲ面のいかつい男性が居たのだ。


 なんだか、お金を出して貰った話しばかりだか、モチロンそうでは無い。
 ここには書ききれない沢山の親切にお世話になったのだ。
 道を聞いて、言葉が通じなければ自分の足で案内してくれる。
 今の日本で育った私達には、まったく驚きのホスピタリティーだったのである。

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