8/2 ジョドプルJODHPUR−(専用バス)→ジャイサルメールJAISALMER

 まずは、ジョドプルのお城を見学。お城から見たジョドプルの町は青い。建物がみんな真っ青に塗られているのである。ここは、ヒンドゥーの神様の中でも、クリシュナさんを信仰している人が多く、そのテーマカラーが青なので、家を青くしているのだそうだ。


ジョドプル城に向かう途中で会ったおばさん

城に向かう途中で、この町の写真を撮るためにバスを止めた。そこには、一人おばさんが立っていて、にこにこしながら話しかけてきた。話しているうちに息子が二人登場。素直でかわいい子だった。おばさんは、「私のうちに寄って行け」としきりに言ったが、それもできず、握手して別れた。ホントに寄ってお話しできたらよかったのにな。

 お城は、お城だった。
 んで、ジャイサルメールに向かった。途中、景色が、どんどん砂漠らしくなっていく。木が低くなり、草が多くなり、岩になり、砂になっていく。いよいよ砂漠だと胸は高鳴る。途中、線路を何度か渡った。線路に幅は、広かったり狭かったりで、この国らしい。今、とにかく統一しようと、あちこちで工事しているようだ。

 ジャイサルメールのホテルは、今回の旅行でぴかいち(^^;)だった。昔の王様の家の一部だとかで、こった彫り物がぐるりとしてある。そのなもマンディールパレスホテル。敷地の中に寺(マンディル)があるのでこの名前なのだそうだ。しかし昔の建物をそのまま使っているので、エアコンなんてない。おまけに、夜にはヤモリがいっぱい出る。私はいちいち青くなっていたが、夜寝る段になって、暑さとの戦いで、ヤモリなんてどうでもよくなってしまった。こうやって人は大人になっていくんだぁと思った。
 ホテルの敷地内のお寺には、夕方、近在の奥さんたち娘さんたちが参拝に来た。どの人もすごくきれいなサリーを着ている。今までの町では、こんなに鮮やかなサリーばかりを見たことはない。砂漠で、国境に近いという土地柄なのだろうか。すごくきれいで見ていて飽きなかった。



8/3 ジャイサルメールJAISALMER

 朝御飯の前に町に散歩に出た。一行の中に、清水君という画家がいるのだが、彼は不可触民のスラムの前で絵を描いていた。周りには子供やおじさんおばさんがいてのぞき込んでいる。道には、早くもフルーツの屋台が出ている。靴磨きが並んでいる。 どれ、朝のチャイでも、と一件の屋台に入った。前に出してあるイスはいっぱいで大にぎわい。英語で何とかチャイを頼むと、ここに座れとイスを譲ってくれたりする。チャイ屋のとなりの駄菓子やのお兄ちゃんは、私のカメラを見て、俺と俺の店を撮ってくれと言う。撮ってあげたら、住所を書くから送れという。それで、英語のできる人を呼んできて、英語で住所を書いてくれた。とても読めないが、このまま封筒に貼って送ったら着くかもしれない。 食事のあと、ジャイサルメールの城内を見学。城と言っても、城の中が町になっている物である。寺や、民家やおみやげ屋や細い路地の両側に人が暮らしている。家の玄関脇にガネーシャという象の顔をした神様の絵を描いた家がいっぱいある。娘を嫁に出したら、これを描くのだという。

 帰り道、てつやさんはステンレスの3段重ねのお弁当箱を買った。インド人愛用の一品である。これは、はかりではかって重さで買う。日本なら、ステンレスでおべんとばこなんて、絶対作らないよね。 このあと、ハウ゛ェーリーと言う、昔の大金持ちの家が集まっているところ辺りを散歩した。とにかくどれも彫刻がこっていて見事だった。ホテルに帰ってシャワーを浴びる。全身の汗に砂が着いている。そのあと部屋で休もうとしたが、停電でファンが回らない。部屋の前の一応ロビーというか玄関というか、のようなところのソファーで休んだ。


ラクダに乗るのは難しいのだ
 この日は夕方からキャメルサファリだ。もっと早くから生きたかったが、さすがに暑くて無理だったのだろう。私の

てつやさんはご満悦なのだ
期待は裏切られたが、まあいいや。サム砂丘までの一時間半のらくだ行となった。
 らくだの馬子(?)は、おじさん一人と子供が5人。らくだはきちんと4本の足を折って座り、私たちを乗せてくれる。立ち上がるとき、まず後ろ足を起こし、そして前足を起こし、っとやるので、ぐらぐら揺れてなかなかおもしろい。歩き出してしばらく、まだみんな慣れずに緊張しているうちに、らくだは水飲み場へ行く。首をぐいーーーっと伸ばすから、前に飲めりそうになって冷や冷や。なかなかの演出である。 私のらくだにはおじさんが乗った。私の後ろで手綱を持ちながら、歌を歌っている。パキスタンの歌だという。このおじさんも、印パ紛争や、パキスタンの締め出しでこっちに来た人なのだろうか。実は、ガイドのバトラーさんも、元はパキスタンに住んでいた。でも、ヒンディー締め出しで命からがらインドに逃げてきたのだという。あのころは、ムスリムも、ヒンドゥー教徒も仲良く暮らしていたのに・・・っと、あとで話してくれた。 おじさんが、おまえも何か歌えと言うので、「さくら」を歌った。いやぁ、もうちょっとましな歌が思いつかなかったもんかと自分でも思う。おじさんは「ジャパニーズソング、ビューティフル」とお世辞もうまい。時々サービスで駆け足をしたり する。これがもう、お尻がばんばん跳ね上がって、落っこちそうで怖い怖い。でも、ゆったりと歩いているのは全く快適。

 砂漠とは言っても、この辺りは、短い草が生えていて、全くの砂地ではない。でも、サム砂丘は、ちゃんとした砂漠だった。私たちはここで沈む夕日を見る。どこからか大道芸人の一行がやってきて、点在している観光客の周りで演奏している。ミリンダをズタ袋に入れて売って歩く子供もいる。この子は、夕日が沈んだあと、空き瓶を回収しに来た。まぁこれもお金になるからと言えばそれまでだが、ちゃんとしてるなぁと思った。 結局、夕日は沈み切らぬうちに砂漠の砂煙に消えてしまった。

強盗団
砂漠の強盗団!?
 私たちは再びらくだで、今夜の野営地に向かう。もうテントも張ってあるし、コックさんも料理を始めている。贅沢な旅である。でも、こうでもしなきゃこんなところで野営はできまい。リビングダイニングはテント前に敷いた大きな布の上。早速、パコーラという野菜のフリッターをつまみにビヤル(ビール)である。風がほとんど真横に吹いていて、でも、心地いい。だんだん暗くなってくる。食事が始まった。エアインディアに乗ってからずーーーっと食べ続けたカレー。ここでももちろんカレー。カリフラワーがおいしい野菜カレー、チキンカレー、ジャガイモカレー、チャパティー、ライス。どれもおいしい。やっぱり外で食べるとひと味違うよ。ジャイサルメールに来てから、どうもあんまり辛くない料理が多かった。地域性だろうか?それとも、観光客用だからと気を遣って、使いすぎて辛くないのだろうか?ところが今夜のカレーは適度に辛くてすごくいい感じ。ガイドのバトラーさんは酒飲みで、今日もラム酒を持参していた。それをコーラで割ってみんなでいただく。あぁ、いくらでも飲めそうだ。

 暗くなってきたので灯りを、と思うと、灯りはつけるなという。さそりが灯りに惹かれて出るのだそうだ。ちょっと離れたところに大きなガスのランタンを置いて、その灯りで食べていた。 それでも、出た。強いてある布の上にすすっと虫の影。現地の係員がすかさずコップのそこでつぶす。なになに?と懐中電気でのぞき込むと、しっぽをくるりとU字に曲げた、あのサソリ君である。思っていたより小さく、薄緑がかった灰色だった。 サソリに刺されたらどうするの?と聞くと、近くの村にサソリの毒を吸い出す名人がいるから、すぐそこに連れて行くから大丈夫だという。でも、ぐるっと360 度、村らしき物など見えないし、らくだに乗ってからこっち、なかったよ。(^^;) テントの中にはサソリは入ってこないから大丈夫という言葉を頼りに、それでもぐっすりと寝てしまった。

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