第9話:「犬の存在」

 犬の目は、なんてまっすぐでキレイなのだろう・・・。
  特に子犬の目は、好奇心にあふれていて愛くるしい。

 毎朝、二階から子犬達が待っている一階に降りると、その"愛くるしい"瞳が12 個、じっとこちらを見て「きょうこそ、ワタチをいちばんにだしてだっこしてね」 と、サークルの中でそう言っているようだ。
 姉妹なのに、顔もやることも喜び方も全て違う。 人間だったら「ホントにオレの子か?」などと疑われ、家庭不和を引き起こしそ うなくらいどちらにも似てない子がいるのだ。

顔のきれいな子はもちろん可愛い。
褒めるところを探すのに苦労してしまうブチャイクな子も、それはそれで愛おし い。
 その中で、主人の一番のお気に入りは「小さいてんちゃん」と、仮の名で呼ばれ ていた子だった。 キャバリアとして、スタンダードからは、ちょっと離れた容姿を持っていた。 姉妹の中で一番小さな身体を喜びいっぱいにクネクネさせながら、毎朝主人に飛 びついて行っていた。 他の子がモモのお乳に吸い付いていても、この子だけは人のそばが好きだった。

 子犬達も生後二ヶ月にはいろうとしていた。
そろそろ譲る約束をしている家族に連絡をとらなければいけない。 一回目のワクチンを済ませて、一週間経ってから渡そうと思っていた。 それが、待つ身は長いものらしく、「まだ、連れて帰れませんか?」と、電話が 入った。 「いや、あさって一回目のワクチンをして一週間後に渡そうと思っているんです よ」と、返事をしたら「ワクチンはこちらでしますから、そろそろ・・・」と、 一日も早く欲しいとのことだった。

 その日は土曜日で、日曜日にしっかり子犬達と遊んでおくつもりだったが急遽、 連れに来られることになった。 どの子かわからないが、明日には確実に一匹とはお別れしなければならないのだ。 そう思うと、次から次へと涙がこぼれてしょうがなかった。 どの子かわからない、と言ってもトライカラーの子ともう一匹、ブレンで一番べ っぴんさんの子は渡せない、と決めていた。

 新しい飼い主となるご家庭には、小学生の子供が二人いて、メスで1才2ヶ月の E・スプリンガー・スパニエルがいるので、寂しい思いはしなくてすむだろう。 でも、いざとなると小学生の子供におもちゃにされないだろうか、オネェさん犬 にいじめられはしないだろうか・・・と、気苦労はズンズン山積みになっていく。

 実はその家族とは面識があった。 
私の姉から「近所に可愛い犬がいるから見に来ないか?」と言われ、見に行った ことがあった。それがそのE・スプリンガー・スパニエルだったのだ。 優しそうなお母さんに、ホントに犬が大好きな子供達。 それに、よく話しを聞いてみれば、娘の友達の親戚だったことが判明した。
 不思議な縁だ。
 新しい飼い主さんになってもらうには、何も不足はない。
 でも、やはりいざとなると心配なのだ。

 気の重い日曜日、そのご家族がやって来た。 どの子にするか、決定権は息子さんらしいが、あの子もいい、この子もいい・・・ と、なかなか決まらない。 その度に私達はドキドキした。 息子さんが最終的に指をさしたのが、主人のお気に入り、「小さいてんちゃん」 だった。
 主人は狼狽していたが、必死にそれを抑えているのがわかった。 私は急に主人が不憫になり「えっ?この子はキャバリアの割には顔が長いし、茶 色い模様も少ないよ。ホントにいい?他の子にする?そのほうがいいよ。」と、 息子さんを諭すように話しかけた。
 どの子を指さされても、きっと何かそういう「往生際の悪いコメント」をつけた に違いない。


今回の主人公
「小さいてんちゃん」
 「この子でいい」息子さんは、大きく首を縦に振りうなづいた。 私は主人の横顔を見た。 「しかたないよ」と、その横顔は答えているようだった。
 それから、すぐにダンボールに敷物を敷いて、「小さいてんちゃん」を入れて帰 る用意を始めた。 それまで、この子が使っていた食器も入れてやった。
 最後に、と娘は泣きながら後ろを向いて「小さいてんちゃん」を抱きしめていた。
 主人もそうしたかったに違いない。

 そのご家族が車に乗り込むとき私がダンボールに入っている「小さいてんちゃん」 を運んだ。 「可愛がってもらうんよ。(*可愛がってもらうのよ)」と、涙をこらえて小さ な声で話しかけた。
 箱の中から私を見上げたその時の目は、やはりまっすぐで、愛くるしかった。
 その箱を抱えて、ダッシュで走り去りたい気持ちに襲われたが、そんな大人げな いことは出来るわけがない。

 「よろしくお願いしますね」
 それだけ言うのが精一杯だった。


 はしゃいで帰るその家族とは正反対に、我が家では娘の嗚咽と、私の鼻をすする 音だけが響いていた。
 覚悟はしていたはずなのに、こんなに別れが辛いとは・・・。 主人は、誰とも目を合わすことなく「ちょっと出てくる」と、家を出た。 人前で泣けない分、男はつらいものなんだな・・・。

 昔は、よっぽどのことがないと泣かない人だったのに、この頃は涙腺が緩んでい るらしい。
・・・・・父さん、おぬしも年を取ったのぅ・・・。

 後日、姉から「可愛がってもらっているから安心しなさい」と、電話が入った。 さっそく、チェックに行ってくれたようだ。
 「小さいてんちゃん」は、誕生日にちなんで「イヴ」と命名されたらしい。

 洒落た名前になってよかったね、イヴちゃん。

                     第9話:おわり

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